明治7年(1874年)の台湾出兵以降、徐々に外征軍としての機能が強化され、普仏戦争に勝利して世界的に注目を集めていたプロイセン陸軍のメッケル参謀少佐が明治18年(1885年)に陸軍大学校教授として招請され、その助言を受けて明治19年(1886年)に山縣有朋?・大山巌らによる陸軍改革が進められた。
この時期に日本陸軍は大きく変化し、明治21年(1888年)にフランス陸軍を範にとった拠点守備を重視した鎮台制から、後方支援部隊を組み込んで機動性の高い師団を運用する積極防御を重視したプロイセン式への改組が行われた。
明治27年(1894年)の日清戦争開戦時には、常設師団は7個であったが、日清戦争後の明治31年(1898年)に常設師団6個師団(第7ないし第12師団)が増設された。日露戦争では全ての師団が戦地に派遣されたため、内地に残留する師団がなくなってしまった。そこで、日露戦争中の明治38年(1905年)4月に4個師団(第13師団ほか)が新編された。国運を賭して行われた日露戦争の奉天会戦における勝利を記念して陸軍記念日が制定された。
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日韓併合後は、旧大韓帝国軍人を朝鮮軍人として編入した。また、日韓併合後は朝鮮半島防衛のため2個師団を交代で朝鮮半島に派遣していたが、辛亥革命後の中華民国の混乱から警備強化の必要性が高まり上原勇作陸相は2個師団の増設を西園寺公望首相に求め、その混乱から西園寺内閣は結果的に倒れることとなる。